福島大経済創立100周年記念式典に出席

 福島大学の経済学部――というか現経済経営学類――が創立100周年となり、10月29日、その信陵同窓会主催の記念式典に福島市で出席してきた。

記念式典の檀上

 かれこれ大学というものに45年ほど色々とかかわっている自分にとって 最初の大学体験しかも二十歳前後の多感な時期だったから、福島時代の思い出は感慨深い。知的な学びのみならず、関西人という異文化圏(?)からやってきた者として 東北というナイーヴかつフレッシュな地で数多くの発見・感動を得た貴重な4年間だった。

 3年次に名古屋大学で全国の経済系大学生のインターゼミナールに参加したとき講評者であった水田洋先生(社会思想史)のもとにその後 進学して次の一歩を踏み出すことになるのだが、一緒に福大から参加した阿部祐一くんは同じく名大の塩沢君夫教授(日本経済史)から大学院進学を勧められながらも 家庭の事情によりメガバンクへの就職を選んだ。

阿部祐一くんと

 思い出の阿部くんと久しぶりに会った。いまは銀行を退職して、東京でアメリカの不動産を扱う仕事をしている。「東京に来たら、飲もう!」とのこと。

 この100周年を記念して八朔社から刊行された共著『知の梁山泊――草創期福島大学経済学部の研究』の関係者と一緒に撮ったのが下の写真。向かって左から執筆者の白鳥圭志さん(東北学院大学経済学部)、編者の阪本尚文さん(福島大学行政政策学類)、そして原田、右端が八朔社社長の片倉和夫さん。片倉さんも卒業生である。

『知の梁山泊』関係者の写真(撮影時のみマスク外す)

 ぼくはこの第1章として「文書集成から分かる初期小林昇――その青少年期・福島期文書の収蔵によせて」を書いた。このブログの21年9月9日の記事で紹介した小林昇青少年期・福島期文書の福島大学附属図書館への収蔵のための解説文を 加筆・修正して論文にしたものである。

 文書集成は現在整理されつつあり、小林昇の少年期のノートなどは中性紙の封筒に入れられて、最終的な収蔵・公開の一歩手前である。そこには、かつて寄贈されながらも公開されないままでいた小林の福島大学での講義ノートも加えられる。同図書館の大塚久雄文庫の部屋に収められる予定だが、現在、信陵同窓会から資金援助を受けてのデジタル化作業を待つ。

整理されるつつある小林昇青少年期・福島期文書

 現段階を図書館で見せていただき進捗を喜ぶとともに、小林先生のご長女松本旬子さんから依頼を受けて一旦ぼくの研究室や自宅で預かっていたときを懐かしく思う。預かった親戚の子供を送り出したあとに成長を見守るのはこんな気持ちか。じつは共著のぼくの章に載せた小林の日記の写真は自宅のベッドの上に並べて撮ったものである。もう少しシーツのシワを直しておけばよかった と後悔しつつ^^;;

 記念式典では来賓として来られていた松本旬子さんにもご挨拶できた。ここ2年ほどメールや電話・郵便で頻繁にやり取りしたが、実際にお会いしたのは、2004年にB.シェフォールトさん(ドイツ・フランクフルト大学)を小林先生のご自宅にお連れしたとき以来である。

 様々な意味で、郷愁・哀愁そして再会の喜びをかみしめることができた南東北の旅であった。