第101回(1994年6月)から第200回(2009年12月)まで
回(年月) | 報告者 | 論題 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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200回(2009.12) | W.S.ジェヴォンズと功利主義
| (代読 井上琢智) 経済学史研究会の回顧と展望 ――200回例会を記念して
| 199回(2009.10) | 海外における主要なロバート・ウォーレス研究のサーベイ
| 198回 | (合宿2009.8) F. Y. エッジワースと男女労働賃金論
| アダム・スミスの社会契約説批判 ――共感論と公法論との関連をめぐって
| 合評会: 中澤信彦『イギリス保守主義の政治経済学 ――バークとマルサス』ミネルヴァ書房, 2009年
| 197回(2009.6) | ジャン・バルベイラック「道徳科学の歴史的・批評的解説」(1706年)の紹介
| 転形問題についての一考察 ――いわゆる「逐次修正」問題に関して
| 196回(2009.4) | ヒュームの両義性とは何か ――人間本性の二面的理解から文明社会の両義性まで
| 195回(2009.3) | トーマス・ペップバーン『オークニー諸島の貧困』(1760年)
| 194回(2008.12) | バークとマルサスにおける慎慮の政治経済学――「エコノミストの時代」と「純潔の徳」
| 193回(2008.10) | 所有・救貧・神学的功利主義 ――J. プリーストリとW. ペイリー
| 192回 | (合宿2008.8) 神田孝平の地租改革にかんする建議書――『農商辧』と民選議院についての諸論文との関係
| スミス労働価値論研究の現状と課題
| 合評会: 本郷亮『ピグーの思想と経済学 ――ケンブリッジの知的展開のなかで』名古屋大学出版会, 2007年
| 191回(2008.6) | フーコーにおける権力と抵抗をめぐる二つの分析モデル
| 190回(2008.4) | ウェストおよびトレンズの地代論
| 189回(2008.3) | ステュアート、スミス、マルサスと ≪需要定義問題≫
| 188回(2007.12) | ロックと集団帰化問題
| 非・戦後啓蒙の一つのモデル ――小林昇における戦争体験とその思想化
| 187回(2007.10) | 合評会: 井上琢智『黎明期日本の経済思想――イギリス留学生・お雇い外国人・経済学の制度化』日本経済評論社, 2006年
| 186回(2007・8) | 合評会: 渡辺邦博『ジェイムズ・ステュアートとスコットランド――もうひとつの古典派経済学』ミネルヴァ書房, 2007年
| プリーストリの道徳哲学
| アダム・スミスと現代
| 185回(2007.6) | ロバート・ウォーレス『人口論』「付録」と『展望』の研究――人口論をめぐる「書簡集」や「草稿」を中心に
| 184回(2007.4) | 正義の遵守と統治の安定――ヒューム社会認識における複線的構造についての考察
| 183回(2007.3) | ジェイムズ・ステュアート信用論の形成
| 182回(2006.12) | 合評会: 田中敏弘『アメリカ新古典派経済学の成立 ――J. B. クラーク研究』名古屋大学出版会, 2006年
| 181回(2006.10) | ミシェル・フーコーにおける「反 - 導き」としての政治 ――「戦争」から「統治性」
| 180回 | (合宿2006.8) ピグーの産業変動論の展開 ――1929年の雇用乗数論を中心に
| ブリテンにおけるフランス革命 ――若干のサーヴェイ
| マーシャル地代論の視点
| 179回(2006.6) | 神田孝平『農商弁』における財政思想
| 178回(2006.4) | ロバート・ウォーレスの『人口論』と『諸特徴』との関連について――1745年草稿を中心に
| 177回(2006.3) | 合評会: 竹本洋『「国富論」を読む』名古屋大学出版会, 2005年
| 176回(2005.12) | ヒューム『政治論集』における勢力均衡の意義
| 175回(2005.10) | The Emergence of David Hume as a Political Economist: A Biographical Sketch
| 174回 | (合宿2005.8) ポープ、バーク、マルサスと「存在の連鎖」 ――階層秩序から経済秩序へ
| ピグーがめざしたもの ――福祉国家と福祉社会
| J. B. クラークとヴェブレン
| 173回(2005.6) | F.Y.エッジワースとトリニティ・カレッジ・ダブリン
| 172回(2005.4) | シジウィックの分配論
| 171回(2005.3) | 中道政策としての自由貿易論 ――アダム・スミス『国富論』の一側面
| 170回(2004.12) | 第31回・国際ヒューム・コンファレンスに参加して
| 169回(2004.10) | 『国富論』の成長モデル作成時における時間の取り扱いに関しての一考察――いわゆる生産的資本の循環に基づかないで
| 168回 | (合宿2004.8) スミスの気にかかる一、ニの論述
| フーコーにおける主体化の問題について ――コレージュ・ド・フランス講義(『《社会を守らなければならない》』と『主体の解釈学』)を中心に
| J. ステュアートの複本位制分析について
| 167回(2004.6) | ロバート・ウォーレスのユートピア像 ――人智と神慮との関連で
| 166回(2004.4) | ステュアートの系図作成から見えてくるもの
| 165回(2004.3) | ユストゥス・メーザーの国家・経済論の一側面――「普遍的な法律や法令を求める現今の傾向は民衆の自由にとって危険である」(1772)および「小さな都市ひとつひとつにも異なった政治制度を与えるべきではないのか」(1777)をめぐって
| 164回(2003.12) | 合評会: T. Sakamoto & H. Tanaka (ed.), The Rise of Political Economy in the Scottish | Enlightenment, Routledge: London, 2003. 163回(2003.10) | A. C. ピグーの『失業の理論』 ――20年代不況の理論的表現として
| 162回 | (合宿2003.8) 政治家の条件 ――エドマンド・バークとシヴィック・ヒューマニズム
| 生産的階級としてのマルサス勤労階級論
| 『国富論』と『道徳感情論』との関係 ――『国富論』第3版改訂説を中心に
| 161回(2003.6) | ヒュームの平等論と奢侈論
| 160回(2003.4) | ヴィクセル、セー紀行
| 159回(2003.3) | デフォーの Circulation of Trade について
| 158回(2002.12) | 合評会: 田中敏弘『アメリカの経済思想 ――建国期から現代まで』名古屋大学出版会, 2002年
| 157回(2002.10) | 『日本教会史』(1617-20年)に見られた日本茶道の精神 試論――「市中の山居」再考
| 156回 | (合宿2002.8) 「ケインズ革命」への道 ――シジウィック=ピグー vs. ムーア=ケインズ
| 戦後スミス研究の射程 ――内田・小林論争をめぐって
| 『国富論』における「不確実性」の問題
| 155回(2002.6) | ロバート・ウォーレスのユートピア像――『展望』におけるユートピア設立の可能性をめぐって
| 154回(2002.4) | W.S.ジェヴォンズ『石炭問題』における経済学
| 153回(2002.3) | W.S. ジェヴォンズとアボリジニー問題 ――ディープ・エコロジーへの道
| 152回(2001.12) | マルサスとスミス ――初版『人口論』第5章を中心に
| 151回(2001.10) | フランソワ・ギゾーの「文明」概念をめぐる考察
| 150回 | (合宿2001.8) 「18世紀スコットランド学会」・「国際アダム・スミス学会」共同会議に参加して
| 制度主義経済学の新展開と現状
| ジェイムズ・ステュアートをめぐる人物群
| 149回(2001.6) | 「ポリース」概念の展開と「ポリティカル・エコノミー」の登場 | ――M.フーコーにおける「統治性」(gouvermentalite)研究をめぐって 148回(2001.4) | フォックス派ウイッグとしてのマルサス ――初版『人口論』成立史の一断面
| 147回(2001.3) | 『ブリティッシュ・マーチャント』誌を読み直す
| 146回(2000.12) | アメリカ初期自由主義経済学
| 145回(2000.10) | Biography as a Guide to Understanding Adam Smith's Thought
| 144回 | (合宿2000.8) I.S.ロス著、篠原・只腰・松原訳 『アダム・スミス伝』(シュプリンガー・フェアラーク東京, 2000年)をめぐって
| 『国富論』における<歴史>をめぐって
| 合評会: 中矢俊博・柳田芳伸編著『マルサス派の経済学者たち』日本経済評論社 2000年
| 143回(2000.7) | 本多利明の「自然治道」論と「西域」型経世学(政治経済思想)
| 142回(2000.6) | ミシェル・フーコーのアダム・スミス論
| 141回(2000.4) | ゲッティンゲン啓蒙における官房学の展開
| 140回(1999.12) | 晩年のステュアートと『チャーマーズ文書』
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