『19世紀前半のドイツ経済思想――ドイツ古典派、ロマン主義、フリードリヒ・リスト』

 もはや「最近書いたもの」ではないが、秋にできたこのサイトのブログ欄において、今年出版したぼくの『19世紀前半のドイツ経済思想――ドイツ古典派、ロマン主義、フリードリヒ・リスト』(ミネルヴァ書房)について、年を越す前に語っておきたい。


 2000年頃まで日本における19世紀前半のドイツ経済思想の研究といえば、フリードリヒ・リストと社会主義・初期マルクスしかなかったような状態であったから、当時のヨーロッパ全体の思潮ロマン主義のドイツ的現われすなわちドイツ・ロマン主義の経済思想や、学界で主流を占めていたドイツ古典派については、手付かずであった。
 その状況は、ロマン主義に関してぼくが『アダム・ミュラー研究』(2002年)でもって多少なりとも打ち破ることができたと手前味噌ながら自負している。本書ではそれを彫琢して世代間倫理の経済思想として第2部で展開しておいた。
 ドイツ古典派については、その基本原理である社会的・客観的な使用価値論について日本で論じられることが皆無に近かったので、書下ろしを中心に第1部で展開した。リストについては第3部で、小林昇のリスト論を、保護主義による産業化と陰での拡張主義というその基本枠組みを継承・アピールすることの意義を説きつつ、小林リスト論をその弱点において微調整する必要を提起した。
 小林昇のリスト論の弱点とは、第1に、小林がリストの拡張主義をかなり後のナチスとつなげてしまったことであり、第2に、リストの経済思想を同時代の諸思想――とくにドイツ古典派とロマン主義――と比較検討することが乏しかったことであり、そして第3に、リストの思想の現代的意義が充分に展開されていなかったこと、である。
 また本書はタイトルのとおり、ドイツ古典派、ドイツ・ロマン主義、フリードリヒ・リストという3つの柱からなってはいるが、初期社会主義・初期マルクスにも折に触れて言及し、またドイツ観念論哲学の経済思想としてヘーゲルのそれを「解題」で取り上げ、19世紀前半のドイツ経済思想を多様な思想空間全体として説明し、それぞれの経済思想の現代的意義についても論じた。
 現代的意義を述べたのは、経済学史・経済思想史の研究が押されている現状のなかで、そうした研究が単なる訓詁学ではなく、それら過去の思想が現代の経済社会の問題をすでに素朴に捉えていて、そこから現代の問題を解決するため示唆が得られることを示すためであった。
 現代との関連は少し書き過ぎもあったかと刊行後に悔やんでいるところもあるが、しかし、「序」執筆時点(今年の春先)――実際には成稿の最終段階――からグングンと存在感を増してきた、国連の提唱するSDGsすなわち「持続可能な発展の諸目標」という未来志向、および新型コロナの蔓延におけるそれへの対処と経済振興との対立、というふたつの問題に触れなかったことは少し後悔している。
 SDGsで提起されているのは、世代間倫理を構築しつついかに多様性を認め合う共同存在として社会全体の進化を図っていことであるが、こうした世代間倫理の問題は、大づかみに言えばロマン主義のアダム・ミュラーの志向と一致する。
 コロナ禍の回避・治癒のために必要とされる物財の調達と、経済の鎮静化の阻止とが対立して捉えられ、どちらが優先されるべきが議論の的となっている今日の状況を見るとき、ドイツ古典派の社会的・客観的な「使用価値論」の議論からするならば、コロナ禍の回避・治癒のための施策と経済の鎮静化の阻止との尖鋭な対立というものはさほど生じないのではないか、と思われる。
 ドイツ古典派の経済思想家たちは、経済において最も価値をもつ財は人々にとって必要不可欠な財であって、それが人々に供給され・享受されることこそ経済の最高の目的である、と一貫して主張していた。彼らの観点からすれば、個人的な儲けから出発する市場での価格形成がそうした本来の経済の目的から乖離するときは、目的の方が優先されなければならない。
 社会全般の広範な人々が最も必要とするもの――つまり「客観的」な使用価値の高い財――から順に満たされていくためには様々な財種類の「階梯」(序列) が認識されなければならず、その序列では、危急の必要を満たすわけではない財種類の供給・享受が下位に置かれる。
 この「種類価値」の見地からすれば、現在のコロナ禍において危急の必要性がある蔓延阻止や医療のための物財をを整え・供給することが最重要な経済の目的となるから、個人的な営利活動はそのために――少なくとも一定期間は――犠牲にされて当然だということになる。
 長くなってしまったので、ここまでにしよう。
 ただ、最後に、「序」で名前を挙げてお礼を述べた方々以外にも多くの方々にお世話になったことを記しておきたい。初出をOCRでスキャンして原稿のたたき台を作ってくださった方、叙述をぼくの指示した点について丹念にチェックしてくださった方、ある論点に関する文献を探すために図書館で何度も何度も文献を探してくださった方、これらの方々にあらためて心から深くお礼申し上げたい。