経済学史研究会第250回記念例会のとき
もう昨年のことだが、一番最初のブログの記事として、大きな出来事なので書いておきたい。経済学史研究会が2019年12月の例会で250回めとなり、記念例会を催した。
この研究会の「世話人」役はぼくが2013年春に篠原久先生からご退職を機に引き継いでおり、田中敏弘先生(今年3月にご逝去された名誉教授、享年90歳)はそのぼくに「250回めの例会は内外の立派な方々に報告者となってもらって、立派なものにしてください」と言われていた。そこで、竹本洋先生とベルトラム・シェフォールトさんとに記念報告をお願いした。 竹本先生は「もうそんなに公の場では話しませんよ」と言われたが、何度もお願いして、なんとかお引き受けいただいた。無理言って申し訳ない気持ちと、本当にありがたい気持ちとが沸き上がった。竹本先生のテーマは「テクストと読解――「歴史器官」としての経済学史・社会思想史」であった。
シェフォールトさんは「学期中なので長く滞在できないけど、引き受けてあげるよ」とのこと。うれしかった! かといって、腰を痛めたことのある70代半ばの彼にドイツ・フランクフルトからトンボ返りは酷。しかし、関学の国際共同研究交通旅費補助に応募して採択され、かつエコノミークラス正規料金よりも安いビジネスクラスがあれば使ってもいいという規定にパスする便を生協が探してくれたので、体の負担が少ないように招くことができた。関学と関学生協に感謝!シェフォールトさんのテーマは “The Significance of Economic Knowledge for Development in History”で、これは若松直幸さんと私との共訳で「歴史に見る発展のための経済知の意義」として関学『経済学論究』(第74巻第2号・第3号、2020年)に掲載。
祝宴では、乾杯のあと、かつて30年余にわたり世話人を続けてこられた篠原先生による、経済学史研究会の歩みについて記念スピーチがあり、そのあと有江大介氏・八木紀一郎氏・有賀裕二氏・渡部邦博氏・小峯敦氏・上宮智之氏らにより祝辞や思い出が述べられた。
和やかな雰囲気で会場を沸かせたのは、研究会の前身である堀研究会(1946~81年)を主宰した堀経夫先生(1896~1981年)の孫娘でいらっしゃる本学職員の山本由起子さんのスピーチであった。山本さんには、この記念例会のあと、研究会の事務を担当していただいている。
いまから思えば、この記念例会が昨年の冬で本当によかったと思う。その次の例会は通常なら今年の4月だが、それならコロナ禍でできなかった。実際、4月例会・7月例会はどちらも中止となった。あまり休んでばかりいられないので、来月の10月例会はオンラインで開催する。
さて、生れて初めて自分のブログの記事を書いたが、日本語の敬称の難しさを痛感している。堅苦しくならないようあまり「先生」とせずに、記事の客観性を保つためゲストの皆さんは「氏」で統一した。しかし「山本さん」は例外である。またシェフォールト「さん」も、ドイツ語の親称 “du” (ドゥー) で、つまり「ベルトラム」「テツシ」で呼び合っているので、「さん」が自然である。しかし、関学の先輩の先生方には、自分にはどうも「先生」という感じがしっくりくる。日本語の敬語システムからすれば逆か!? 失礼であればお許しいただきたい。