ハンブルク美術館で――その1: C.D.フリードリヒ「氷の海」

 7月末の日曜日、ハンブルク美術館(Hamburger Kunsthalle)に行ってきた。午前中 研究室で急な仕事を片付けたあと、午後から勇んで出かけた。

 ドイツ・ロマン派の画家カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(1774~1840年)の代表作「雲海の上の旅人」(1818年)を見ておきたかったのである。ドイツ・ロマン主義の経済思想を研究するぼくは 以前からこの作品が気になっていて、美術館自体もこの作品を一押ししているから、なおさら心がかき立てられた。

 大学に行く電車から見える美術館の裏側の壁にも、その絵をアピールする巨大な看板がある。

ハンブルク美術館の裏側の壁

 しかもそのフリードリヒの特別展があるというポスターが目に入ったので「やったーっ」と思い、雨に濡れながら美術館にたどり着いて、入り口の横のガラスに大きな文字CASPER DAVID FRIEDRICHと「旅人」のシルエットも見て、いよいよだと思った。

ハンブルク美術館の正面入り口
正面入り口のガラスの「旅人」

 くまなく回ると時間がかかるので、とにかく19世紀前半やドイツ・ロマン派のところでそれを見ようと足早にそのコーナーに行った。ところが…….、なんと その絵が な か っ た のだ^^;;

 別のところで開催されているカスパー・ダーヴィト・フリードリヒ展に貸し出されていて、戻ってきてここで展示されるのは12月からのフリードリヒ生誕250周年記念の特別展でやっと、とのこと。う~ん、自分の早とちりと 滞在中に鑑賞不可能なことに 愕然とした。スコーンとやられた感じだ。

ハンブルク美術館のC.D.フリードリヒ生誕250周年記念の特別展のパンフレット
(2023年12月~2024年4月に開催)

 そりゃ日本の美術館でも 借りてきて「ルーブル美術館展」をやったりするから、その間ルーブルにはそうした絵がないはずで、その逆状況に遭遇しているだけのこと。ただそうだとしても、建物の壁といい正面玄関といい そこまでその絵をアピールしてらっしゃるので、こちらとしては ちょっとぉ…^^;;

 しかし ひるんではいけない!と思い直して、かろうじて展示されているフリードリヒの別の名作をじっくり見ることにした。1823~24年頃に描かれたとされる「氷の海」だ。

C.D.フリードリヒ「氷の海」

 ぼくは美術の専門家じゃないけど、フリードリヒには 子供のころ凍った湖でスケートをしてるとき氷が割れて溺れそうになり、それを助けようと頑張った弟が逆に溺れて死んでしまったという一生引きずる苦い体験があった、と聞いている。以前この絵を画集で見たとき「氷が盛り上がりすぎでは?」と思ったことがあるけど、それほど氷とそのぶつかり・割れという自然の威力を強調したかったからだろう。

 よく見ると、押しつぶされた船の船尾のようなものが小さく右側にある。でも、今回近づいて すごーくよく見たら、左側の離れたところにマストの残骸らしきものがあることが分かった。だから、かなり大きな帆船だ。

「氷の海」の左側

 当時のドイツでは「零細」農民が大挙して土地を求めて帆船で大西洋を渡り北アメリカに移住したし(F.リスト『農地制度論』1842年で指摘)、1823年はドイツ人シーボルトが帆船でもって日本を目指して長崎に到着した年でもある。

 帆船は人間が夢と希望の実現のために先端技術の粋を集めて海という大自然に挑戦した創作物だった。だから帆船が海の流氷にこっぱみじんにされることは、人間がいかに力を入れて自然に挑戦しようとしても 自然が本気で牙をむいたときはもうダメなんだ、ということを表している。フリードリヒは、自分の氷体験と重ね合わせて自然に対する人間のはかなさ、自然の怖さ・凄みを表現しようとしたにちがいない。

特別展のパンフレットのアピール文の最後

 特別展のパンフレットでのアピール文は、こう結ばれている。
「いくつものフリードリヒの作品は人間と自然の宿命的なつながりについて語りかけているが、わたしたちがそれに感動するのは、なんといっても、存在のあり方・仕方を問うような気候変動と環境破壊に直面しているからなのだ。」

 この夏、南ヨーロッパでは観測史上最高の猛暑に襲われ、方々で山火事まで発生した。日本の恐るべき暑さも言うまでもない。そうしたわれわれには、「自然を恐れよ!」という気迫のこもったフリードリヒの作品こそ、言葉を超えた強いインパクトがある。ノヴァ―リス研究者の今泉文子さんは、ドイツ・ロマン主義こそドイツ人の「伝家の宝刀」であって現代にも通用する「不壊のエネルギー」をもつ、と言われた(『鏡の中のロマン主義』1989年、p. iv)。ハンブルク美術館は、特別展でもってその宝刀を抜くことになるであろう。 

 付記――「氷の海」の写真は原田が撮ったものではなく、Wikipedia掲載のものを使った。ハンブルク美術館ではフラッシュ・三脚なしなら自分で写真を撮ることができるが、その私的な使用はよくても 公開は(ウェブも含めて)認められていない。念のため、自分の撮った写真をここに(自分のサイトに!)アップをしたいと美術館にお願いしたが、ダメだった。