シュピーゲル・ハウスで

 ドイツ通なら誰でも知ってる週刊誌『シュピーゲル』の本社ビル「シュピーゲル・ハウス」に、先週 友人ハウケ・ヤンセンさんの案内で妻と行ってきた。腰痛もちの妻が珍しく「あそこに入ってみたいのだけれど、頼んでくれる?」とのこと。彼に言ったら快諾してくれた。

 レンガ造りの建物が林立するハンブルクの「ハーフェン・シティー」の一角に 凛々しくそびえたつモダンな大きいビルがそれ。

ビルの上にロゴ “DER SPIEGEL”

 『シュピーゲル』はドイツ語で「鏡」を意味するが、正確な誌名は、「〇〇なるもの」というニュアンスの冠詞「デア」が付いた『デア・シュピーゲル』である。進歩的な視点から政治・社会について辛口のオピニオンを発するこの雑誌は、誌名でもって「政治と社会の真実を映し出す鏡なのだ! 」と言いたいようだ。

そこにあった『デア・シュピーゲル』

 出たばかりの最新号は「プーチンはどんなに弱いか? 裏切者やライヴァルそれに反乱者もいて ロシアの権力体制はカオスだ」という特集だった。

 オデコのひび割れたプーチン大統領の肖像が 表紙だ。ウクライナではプーチンとヒトラーを合わせた落書きさえ街頭にあるようだが、100万部以上もドイツで売られている『シュピーゲル』では、国交のある国の元首の肖像をくすずのは この程度でもかなりのものだろう。

ビルの真ん中は贅沢にも一番上までガラン堂の吹き抜け

 そんなに売れて豊かに違いない と思わせるのは、ビルの中が超キレイなこと。しかも壮大な吹き抜け構造になっている。『シュピーゲル』誌の創刊者ルドルフ・アウグシュタイン(1923~2002年)の言葉「何があるのか、言うのだ」が 彼のサインとともに壁に掲げられている。

アウグシュタインの言葉とサイン

 アウグシュタインが戦後間もなく1947年に進駐軍の後援で創刊した『今週』という雑誌がその前身だが、進駐軍にもためらわない物言いのため数年後に後援が得られなくなり、独立性をキープすべく『シュピーゲル』と改名して続けられた。彼は晩年まで編集を指揮していた という。

現行のアウグシュタインの伝記(左)と「シュピーゲル事件」についての本(右)

 1962年、NATO・西ドイツ軍の機密情報をすっぱ抜いたためアウグスタインは逮捕される。しかし逆に、逮捕こそ報道の自由を侵すものだと叫ぶ世論の勢いがあり、国防大臣が辞任するのみならず内閣も総辞職した。「シュピーゲル事件」である。

 もうナチス時代じゃないし 社会主義(東ドイツ)の統制でもない 民主主義の西ドイツを象徴する事件であった。アウグシュタインは釈放され、喝采をあびた。

 友人のヤンセンさんは、アウグシュタインの生誕100年を記念した新しい伝記の執筆を依頼されて、シュピーゲル・ハウスに自分の仕事部屋を与えられている。伝記は秋に『シュピーゲル』に連載され、書き足したうえで 本として出版される。すでに出ている別の伝記もあるから、資料を丹念に読んでそれ以上のものを出さないといけない 厳しい仕事である。

ヤンセンさんがアウグシュタインの手紙を見せてくれる

 彼の部屋にある膨大な資料の中から、戦時中に若きアウグスタインが兵士としてロシアの前線から両親に送った手紙を見せてもらった。古いくずし方(ジュタリーン文字)の手書きでびっしり書かれており、しかも 場所の特定がむつかしくなるように――敵の手にわたっても大丈夫なように――発信地が暗号で示されていたりで、なかなか解読がむつかしい。

 ヤンセンさんは、ぼくがいま属しているハンブルク大学の社会経済学部の経済学史の講座で博士学位を取得しているが、経済学史ではなかなか研究者としての定職が得られない状況で、1991年に『シュピーゲル』誌に誘われて入社した。以後、経済記事を中心に同紙のライターであり続けたとともに、自分で経済学史・思想史の研究も続けてきた。

 じつは30年ほど勤めてすでに定年退職しているのだが、卓越した能力ゆえ 会社は彼を手放さず、部屋を与えて創刊者の伝記を執筆させているのである。他方、自身の研究では、著書『経済学とナチズム――20世紀の30年代におけるドイツ経済学』(初版1998年)は増補改訂を重ねて第4版(2011年)にまでなっていて、ナチス期のドイツ経済学について最も定評のある研究として学界での評価が高い。少し前には なんと『マックス・ヴェーバー全集』の第III部門・第2巻(2020年)の編者も務めている。

『経済学とナチズム』第4版

 「自分は大学教授じゃなかったけど、だからポスト争いでヘトヘトになったりしなかったから、かえって気楽でこれたんだよ」と言い放つ彼には、ほんの少しの哀愁と超越した豪傑さとを感じさせるものがある。