関学図書館での稀覯本展示と篠原久氏の報告

 12月の第264回 経済学史研究会(研究会HPリニューアル)では、アダム・スミス(1723~90年)の生誕300周年が過ぎゆくのを惜しむかのように、篠原久氏に「アダム・スミスの思想形成――稀覯本に見る生誕300周年」という報告をしていただいた。

 研究会の世話人のぼくにとって、その前任者であり かつ本学の名誉教授にして「アダム・スミスの会」会長でもあるこの方を 篠原「先生」と呼ぶのがふさわしいが、でも、ここでは研究会の報告者として「氏」で呼ばせていただこう。      

稀覯本を前に行なわれた特別閲覧室での篠原報告

 普段は午後に2ラウンドのみ催す例会だが、今回は午前に篠原報告を加えて3ラウンドとした(午後は南森茂太氏と周雨霏氏の2報告)。関学図書館の門外不出の稀覯本の展示を兼ねたそれは、特別閲覧室で行なった。

 アダム・スミスの『道徳感情論』初版(1759年)と『国富論』初版(2巻本、1776年)はもちろんのこと、バーナード・マンデヴィル『蜂の寓話』初版(1714年)、デイヴィド・ヒューム『人間本性論』初版(3巻本、1739~40年)、その他『エディンバラ・レヴュー』第1号(1755年)などが開陳された(関西学院大学「ニュース」での報道)。

 利己的な個人からなる近代社会でも整った秩序が成り立ちうることを、スミスは立証した。「公正な観察者」が見るなかで「自愛心 self love」による利益の追求が過度であることが分かれば本人が自己抑制してそれを穏当にするといった社会関係を、彼は『道徳感情論』で説き、『国富論』でも、それと対応する市場メカニズムについて、まるで「見えない手」に導かれて私益が公益へと至る関係として説明したのである。

 スミスが利己的な個人の自己抑制を マンデヴィル(1670~1733年)のいわゆる「自尊心(self-liking)」のメカニズムからも説いていたことが、篠原報告で指摘された。人は自分の価値や成果を真価以上に評価する傾向にあるけれども、度が過ぎると、他人から鼻持ちならない「プライド」をもつヤツとして嫌われる。なので、他人を意識して(他人の「是認」が得られるように「適宜性感覚」を働かせて)過度にならないように自己規制するものである。

 う~ん。これって、今も、人と接するときに誰でも気を付けないといけないポイントではないか(ぼくはちゃんとできているか?)。『道徳感情論』でのこの議論は、今日でも通用するほどの スミスの近代社会の心理分析の豊かさを示している。とはいえ、その論理はマンデヴィルに由来するのだ。篠原氏はそうした思想の受け渡しについて、すでに今年の雑誌『思想』アダム・スミス特集号(11月号)の巻頭「思想の言葉」で書かれている。

 4月例会でもスミス書簡集の邦訳について語っていただいた篠原氏に、おかげさまで研究会がスミス300年にふさわしい年をおくれたことを感謝し、4月・7月の例会で(原田の海外滞在のため)司会を務めてくださった久保真氏にも、また稀覯本展示でご協力いただいた図書館の伊藤幸江氏・井戸田史子氏にも、もちろん出席者の皆様にも、お礼申し上げたい。