ドイツの社会政策学会経済学史委員会がエディンバラで開催

「社会政策学会経済学史委員会」と書いたけれど、これは一言では理解しにくい。

「社会政策学会 Verein für Socialpolitik」ならグスタフ・シュモラー(1838~1917年)やマックス・ヴェーバー(1864~1920年)が活動した学会を思うが、現在のそれは 戦後その発展的継承として再建されたドイツ語圏全体(オーストリア、スイスも含む)の包括的で最大の経済学の学会なのである。

 それは社会政策に限らず 経済理論、財政学など経済学のすべての分野が含まれていて、合計4000名もの会員を有している。各分野はそれぞれの「委員会Ausschuß」をもっているが、直訳で「委員会」となるこの部局は 同時に「専門部会」でもある。

 経済学史委員会は毎年ドイツ語圏のどこかの町で年次大会を開いているが、今年はアダム・スミス(1723~90年)生誕300周年を記念して、例外的にスコットランドのエディンバラで開催された(6月21~23日)。

前列中央で白いバッグをもつH.リーター(ハンブルク大学)の後ろに立つのが委員長R.クルンプ(フランクフルト大学)
リーターの向かって左がH.クルツ(グラーツ大学)さらに左の女性が開催担当者のK.ホーン(エアフルト大学)
ホーンの後ろにはH.ハーゲマン(ホーエンハイム大学)の姿も見える。
写真でパットしない原田(左から4番め)に比べて、前列右端の守健二(東北大)はカッコよく映っている。
(以上、敬称略)

 上の写真はスミスが 亡くなるまでの最晩年の12年間を過ごした家(パンムア・ハウス)での集合写真。この家がこの年次大会で使われた。

 合計7つの研究報告のうち 3つを紹介しよう。

 カーレン・ホーンさん(エアフルト大学)による「学際的な課題としての経済学史――最近のアダム・スミス研究の概観」では、近年の英語圏・ドイツ語圏では経済学のみならず政治学・歴史学・哲学でスミス研究がなされていることが示された。日本の研究についての言及がなかったことは残念だったが、来年3月に東京で開かれるスミスの国際学会に出席が予定されており、そこでの交流が望まれる。

 古典古代文献学者のザビーネ・フェリンガーさん(マールブルク大学)の「アダム・スミスの思想における古典古代哲学」は、スミスの『道徳感情論』(1759年)と『国富論』(1776年)でのキケロ、ストア派といった古代哲学への言及を明らかにし、彼がそれらに注目しつつ新たな解釈をしていたことが言われた。ぼく自身、ある仕事で古典古代思想とスミスの関連を考える機会があったので、示唆的であった。

 ハインツ・クルツさん(グラーツ大学・名誉)は「文明化をめぐるスミス、マルクス、シュンペーター ――進化についての彼らの議論を比較して」で、3大思想家が相違をもちながらも全体として進化経済学的な関心をもっており、それらを総合する必要を呼びかけた。彼はリカードの研究者として日本でも知られているが、このテーマで日本の進化経済学会の方々と討論すれば面白いのではと思い、それをお勧めした。

 エクスカーションは、すぐそばのスミスの墓所から始まった。墓標を背に自撮り と思ったけれど、太い鉄格子があってまともに撮ることができない。

スミスの墓を背に

 でも、鉄格子の間にスマホを差し入れたら 墓標を大きく撮ることができた。

スミスの墓碑

 そこから、ロイヤル・マイルと呼ばれる旧市街の大通りを歩いた。これはエディンバラ城からホリールード宮殿(スコットランド議会)まで続くが、皆でぞろぞろ歩いたのは そのハイライトのみ。 

 通りに面して、スミスが晩年スコットランド関税委員として勤務した建物もある。

スミスが勤務した建物(この奥)

 ロイヤル・マイルから離れたデイヴィド・ヒューム(1711~76年)の墓所にも行った。 

ヒュームの墓所

 ロイヤル・マイルには有名なアダム・スミスの銅像があるのだけれど、エクスカージョンのときは逆光でうまく撮れなかったので、早朝にひとりで行って 道行く人に撮ってもらった^^。 

旧市街の中心にあるスミスの銅像

 ハンブルクから たった2泊の旅行であったが、学会で知識を得たのみならず、以前から気になっていたエディンバラのスミス関係のところに行くことができて、有意義であった。

 なお、原田はこの年次大会では報告しなかったが、昨年のドイツ・イェーナでの大会にオンラインで出席して「社会政策学会の自主解散の背景にあったグスタフ・シュモラーをめぐる議論」というテーマで報告したことを 付け加えておく(報告論文の所収された共著図書が今年8月に刊行される予定)。